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2007年6月 2日 (土)

血の通った物価上昇

先日、取り上げました「国債は買ってはいけない!」という本ですが、その中に、目を見張る新鮮な理屈がありました。

それは、「物価上昇には『血の通った物価上昇』と『血の通わない物価上昇』の2つがあって、庶民が見なければいけないのは、血の通った物価上昇であるのにもかかわらず、一般に目に触れるのは、血の通わない物価上昇だ。」という理屈です。

要は、「物価の上昇率を計るためには、正確に同じものの異なる2点間の値段で図らなければならない。」として、例えばお米の値段であれば、今も昔も「農林ナントカ号」の値段で物価上昇率を計っているが、これが「血の通わない物価上昇率」であると著者は主張しています。なぜなら、昔は「農林ナントカ号」が一般の食卓に上がる標準品だったかもしれないが、今ではそのようなお米を食べる人は少なく、「コシヒカリ」が標準品になっているかもしれないからです。

すなわち、同じ物を基準で計った物価上昇率を基準にすると、今でも長屋に住み、白黒テレビを見て、携帯電話もパソコンも水洗トイレもない生活を維持するために必要な物価上昇率を参照することになってしまうわけです。

また、20代前半の若者ならば牛丼屋の牛丼でもごちそうかもしれませんが、これが50代のいい年配者であれば、ごちそうどころか貧相な食事でしかないかもしれません。人間の一生においての時間の経過を考慮にいれたら、年相応の生活をするための必要なコスト増も物価上昇率の中に含める必要があると、著者は主張します。

なので、この本では物価上昇率を、以下の3つの物価上昇率に分け、その(1)を「血の通わない物価上昇率」と、そして(1)から(3)までの合計を「血の通った物価上昇率」と呼んでいます。

(1)単純で、非社会的・非人間的な物価上昇・・・4.3%

(2)社会の発展による換算物価上昇・・・3.3%

(3)人間の年相応の生活による換算物価上昇・・・2.3%

後ろの数字は、この本に記述されている、1960年から2000年までのそれぞれの平均的な年率上昇率です。

全て足すと、およそ10%になります。このような、血の通った物価上昇率を考えずに、単純な2点間の同一商品の物価のみを参照して、「インフレ以上に資産が増えているから大丈夫」と考えていては、実際は資産の価値を毎年毀損していることを意味することになります。

最近はずっとデフレ傾向ですので、2000年以降の統計を用いて測定すれば、「血の通った物価上昇率」でも、おそらく10%よりもはるかに小さい値になるものと思います。なので、この本の示す数値も、現状の日本においては、誇張された数値ではあると思います。

それでも、「デフレだからゼロ金利でも損はしていない」というのは、上記の(3)の要素まで考えたら、必ずしも正しくないかもしれないという点は、私にとっては目新しく、勉強になる新しい知識でした。

どうでしょう。皆さんにとっては、役に立つ知識でしたでしょうか。

もし、このような内容にご興味があれば、この本を読んでみてください。

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