格差拡大は政治のせいか?
何だか唐突な題名ですが、ほんの数時間のうちに相反する意見を目にしましたので、テーマとして取り上げてみました。
今日の日経新聞の夕刊の十字路に、以下のような文章がありました。
『時の小泉政権が残した負の遺産は大きい。「格差」が顕在化し、収入が増加しない一方で、諸物価の上昇が続いている。』
他方、「定年後マネーは二極化する」(方波見寧氏著)という書籍のはしがきには以下のような文章がありました。ちょっと長いですが引用します。
『米国でも戦後の1950年代から60年代頃までは、かつての日本の「一億総中流社会」のような、国と企業の保護が手厚く、国民の7割近くが芝生の庭がある郊外の一軒家に住む、豊かな中流階級社会を作っていました。
それが、今日のような格差社会に変ぼうしたのは、米国の大企業の技術水準が日本やドイツの企業に追いつかれたことが原因で、大企業が、国際的な大競争を繰り広げる過程で生産性を上げるため、解雇や低賃金という効率化を行ったことに始まります。高賃金・高コストの先進国企業の技術水準が、低賃金・低コストの開発途上国企業の技術水準に追い付かれれば、両者の賃金・コストは、同じ水準に向けて調整されます。
その結果、かつては7割近くもいた豊かな中流階級は、転職と低賃金を余儀なくされ、大部分が下流社会へと落ち込んでいきました。こうして彼らの退職金と貯蓄が大きく落ち込んだ結果、年金制度が揺らぎ、2000年には、退職者の80%が金銭的に破綻しているという深刻な事態に至ったのです。これが米国における格差社会の進行プロセスです。
(中略)
一方日本でも、95年頃から一億総中流社会が崩れ始め、さらに05年頃から格差社会への突入がはっきりしてきました。その要因は、日本の大企業の技術水準が中国などのアジア諸国に追いつかれたことにあります。競争を繰り広げる過程で大企業において低賃金や解雇が見られる点では、20~30年前の米国のプロセスによく似ています。』
この文章は、日本における格差拡大は、政治のせいではないと主張しています。私は、この後者の書籍の主張に一票入れたいと思います。
格差拡大が日本の中の、閉じた問題ではないのならば、日本の中での徴税と再分配制度で対応しても、問題はなんら解決しません。進化する新興国群のモノやサービスにもびくともしない高付加価値を生み出す人と企業が、酷税によって地獄に一緒に引きずり込まれるのを逃れるために海外脱出して、あとはどうしようもなく疲弊した国が残るだけです。
国や国内企業は、新興国群が出せない高付加価値を生み出し、国際分業の一部をしっかり担える得意技を磨くことに必死にならなければならないでしょうし、個人も、日本企業だけではなく、日本人の将来を脅かしかねない新興国群その他の諸外国企業のエクスポージャーも合わせ持って、日本国の将来に対するヘッジポートフォリオを構築する必要があると思います。
諸物価が上昇していることも、全く同じ枠組みで理解できることは、当ブログをごらんになっているような方ならば、常識的な内容だと思います。
最近の政治の世界を見てみても、「格差拡大は悪」とばかりに、日本国民全般が他力本願に走っているように思えてなりません。上記の著書に指摘されるまでもなく、日本国民の一人一人が、複利を味方につける長期の国際分散投資等によって、自前で道を切り開く必要があると思います。
| 固定リンク | コメント (6) | トラックバック (0)





最近のコメント